【当ブログの説明】

こちらは、かつてPosterousというミニブログサービス上で運営されていた「ほぼ日刊ひろさの」及び「煩悩の赴くままに」というコンテンツを再生することだけを目的に開設されたブログになります。
全部で400近いエピソードが収録されておりますが、2011年3月から2012年10月までに書かれたエントリーですので、かなり古い情報も含まれておりますことをご了承願います。

2012年10月10日水曜日

387:【修正版】戯れ言〜ありがたいよね、友達がいるって〜の巻

毎度どうも、@Hirosanoです。

前回は久々に写真もスクショもリンクもない、随筆みたいなテキストだらけの内容にしてみました。

【旧】煩悩の赴くままに: 386:戯れ言〜ありがたいよね、友達がいるって〜の巻
あまり読んで欲しくない理由があるので今回は掲載を躊躇したんですが、あえて再掲することにしました。理由は後ほど。

何気ない心情を吐露しただけのつもりだったんですが、アップした直後より各方面(全員Twitterの知り合い)からお褒めの言葉を授かりました。ありがとうございました。

ブログの怖いというか難しいところってのはこういところでして、意図してウケを狙った力作はそれほどPageViewが伸びるわけでもなく、あまり力を入れずに書いた駄文だと思ったものが予想外に好評だったりするんですね。

そもそもここは自分が何を思い何を感じたかを記録するために付けている日記のようなブログなもんですから、実は前回も咄嗟の思いつきで帰りの通勤電車の中でツラツラと書き始めてみたものなんです。

なので、Twitterで何人かの方から「良かったよ!」と言われた直後には、こんな事を思わず呟いてました。

で、家に帰ってから改めて読み返してみて、落ち込むことったらありゃしない。

なぜ落ち込むかと言えば、とても人様に読ませるような文章ではない箇所が何箇所もあったからです。

前回の主旨は、「大人になったら仕事とかで忙しくて友達と呼べる人間がどんどん減って行く一方だけど、Twitterやったりそのオフ会に行くと、こんな歳でも友達増やせるんだよ、嬉しいな!」って事だってのは、かろうじてなんとか伝わったみたいなんですが、文章が支離滅裂で、センテンスが荒くて、細かいディテールも気が効いてないのが目について仕方がなかったんです。

そんな荒い文章が気になって気になって、今日も一日中書き直したくて、全然仕事に身が入らなかったんです。

いや、仕事はちゃんとしましたよ、一応。←保険?

何がどう変わるワケでもないかもしれませんが、所詮ブロガーなんて自己顕示欲と自己満足の塊みたいなもんだろと自己嫌悪もしてみたりしつつ、誰に許可を得るわけでもなく、「修正版」と銘打って細かな内容の見直しを図る事と致します。

すでにお読みいただいてる方々には申し訳ございませんが、主旨ご理解の上、お暇な時にでも微妙な違いを感じていただければと存じます。

……それでは修正版、行ってみましょう。


社会人になると、自ずと仕事中心の生活とならざるを得ず、その一日の大半を会社で過ごす事になる。家には帰って寝るだけの日々。

最初のうちは、たまの休みともなれば学生時代の友達と連んでみたりするものの、転勤などで物理的な距離が離れたりすると自然と付き合いは疎遠になるものだ。

はたまた結婚や出産、育児や看護、親の老後の面倒などなど、会社以外にも家族という括りでのイベントごとが多くを占めるようになり、自分の中に占める友達との付き合いの割合が縮小傾向となるのも致し方ないことだろう。

ウチの父親がそんな典型的な会社人間だった。

高度成長期に働き盛りを迎えた人たちは、家族を犠牲にするとまではいかないが、会社で働く事に生き甲斐を見出し、働く事こそが家族のためになると、定年を迎えるまで会社一辺倒の生活をしていた。

たまの休日にゴルフへ行ったりしたとしても、それも仕事絡みである場合が多い。仕事ではない場合でも、職場の同僚との付き合いとか社内コンペとか。学生時代の友達と遊びに行く姿など見かけたことすらない。

本人は楽しんでいる風だったが、父親に友達と呼べる人物がいたのかどうか、子供心に感じた事もなければ、それを目撃したという記憶もあまりない。いたのは会社の人たちと親戚くらい。

別にウチの父親に友達がいなかったワケでもなかろうが、自分も同じ道を歩んでなるものか!と、仕事とは関係のない学生時代からの友達との付き合いを継続してみてはいるものの、それも徐々に疎遠な間柄となりつつある事を実感しつつ、年に数回くらいは互いの近況を報告し合おうと、細い糸で繋がる関係を維持するのが精一杯。

稀にあったとしても、最近は誰が病気だとか、彼が亡くなったとかの話題も出始めている。そういう年齢になってきたってことだ。

家族との会話でも「この間、会社の誰それが...」という話題しか持ち出せない。仕事の中身は家族といえども守秘義務があるし、家でテレビをまじまじと見ているわけでもないので、他にさしたる話題もない。

そもそも友達付き合い自体が希薄なもんだから、友達の面白おかしい話題を披露できるはずもない。たいていはカミさんのおしゃべりを聞く役に徹することになるのは、世のお父さん方にも心当たりがあるはずだ。


会社の同僚、上司や部下は、仕事を通して協力し合う仲間ではあるものの友達と気軽に呼べる人たちではないし、このご時世、会社の人間と家族ぐるみでの付き合いなんてのもそうそうあるもんじゃないから、プライベートでの付き合いなんてのは皆無に等しい。

ご近所付き合いだって、子供を介したそればかり。近くに住んでいればそれなりに気を使わざるを得ず、ましてや子供同士がライバル関係にあったりすると、かえって親の方の諍いにまで発展する事態になりかねない。

そんな状況では、長い時間を共有した上に育まれる深い友情など生まれようはずもない。

そう、大人になると友達を作る場面がそうそう訪れないという事だ。

会社というフィルターを通して築き上げた関係性は、友達という形に昇華するまでに乗り越えねばならない利害関係のようなものが少なからずあり、仕事で共に苦労を分かち合ったとしても、そこで生まれた連帯感は仕事の上でしか活かされることはない。

仕事という長い時間を共有する場で築き上げられた関係では、互いの信頼関係は比較的容易に構築できるものの、プライベートや趣味趣向を曝け出してまでの友情にも似た一体感を醸成する機会にはあまり恵まれていないような気がする。


そんな時に、Twitterで思わず沢山の友人を得る機会に遭遇した。

最初はおっかなビックリ始めたSNSだったが、顔も名前(本名)もわからない人たちとの間に生まれる不思議な関係にどんどん魅了されていった。

Twitterのフォロー&フォロワーの関係は、そもそも自分が何故か選び、何故か選ばれたという不確実な間柄からスタートしているのだが、匿名性も手伝ってか、相手に対して素のままの自分を自ら曝け出す行為を繰り返すうちに、テキストだらけのタイムライン上に様々な個性が散りばめられ、IDもしくはアイコンを見ただけで、その人がどんな人物かを把握できるようになる。

ま、あくまでも自分本位な想像でしかないのではあるが。

毎日毎日、朝昼晩と挨拶を交わし、大の大人がくだらない話題で盛り上がり、自分と同じ思考を持つ人たちや正反対の意見を主張する人たちと会話を繰り返すうちに、妙な連帯感というか一体感を覚えるのは、ボクだけの経験ではないはずだ。

申し訳ないが、Twitterのタイムライン上では、ホントにくだらない事しか呟いていない。これは3年ほど前に始めた当初から変わっていない。

にも関わらず、ボケれば間髪いれずにツッコミが入り、解らないことがあって尋ねると即座に回答が導き出され、暇さえあれば何気ない会話を延々と続けることができるこの環境は、ボクみたいな寂しがりやの大人たちを魅了して止まなかった。

そのうち、オフ会なるものにも手を出してみたくなるのも、自然の流れだったのだろうか。

毎朝毎晩オンライン上で会話している相手との繋がりを確かめる作業なのか、まだ見ぬ相手の素姓をただ知りたいだけという利己的な発想なのかはわからない。

心地よいタイムライン上の生活を破壊する事になるかもしれない禁断の行為であるオフ会(少なからず当初はそう思っていた)に参加する事に躊躇しなかったわけじゃない。

そんな戸惑いよりも、ボクの友達になるかも知れない人たちが、どんな顔をしていて、どんな声で、どんな表情で、あれやこれやと語るのかを、実際に会って確かめたいという己の欲望が優っただけの話しだ。

案の定、やがてボクはオフ会の虜になる。

予想していなかったわけじゃない。なるべくしてなった結果だと、今ならば言える。

そうだ!何かに似てると思ったら、小学生の時と同じなんだ。

毎日学校で顔を合わせているのに、放課後や休日に暇さえあれば勉強そっちのけで外に遊びに行き、くだらない冒険やら探検やらにあけくれ、永遠に続くように感じられた長い長い時間を共有した日々に似ている。

共に過ごす時間が長く、またその密度も濃い、そんな環境で出会ってしまったまだ見ぬ相手との間に友情めいたものが芽生える、そんな風に錯覚してしまえるのも、なんだかわかるような気がする。

ましてや、オフ会で実際に顔と顔を付きあわせ、くだらない話を肴に酒を酌み交わす間柄(大人の特権)になれば、より親近感が深まるのもなおさら、至極当然な話だ。

Twitterのオフ会の素晴らしさはこの歳(42歳)になってなお、バカな話を気兼ねなく話せる友達ができるという一点に集約される。

同じ志(こころざし)を持った者同士などという堅苦しい間柄ではない。もっとお気楽でお手軽なのが友達だ。

タイムライン上の話題や短いTwitter人生で起きたあれこれを共有できたことを互いに喜び哀しみあえる、もしくはこれから未来に起こるであろう様々な出来事を共有できるだろう友達として、緩くありつつも確固とした壊れることはない関係性をいとも簡単に構築できるところに、Twitter並びにオフ会の素晴らしさがあると、そう感じている。

ボクはいちおうブロガーを名乗ってはいる(兼業ブロガーというかセミプログロガーというか)ものの、同じブロガー仲間に会って、色々とブログに関する議論を交わしたいというよりも、ふだんTwitterで何気ない会話を交わしているフォロワーさんと実際に会ってみたいという願望の方が、なぜだか強い。

日本は広い。まだお会いしていない古くからのフォロワーさんは山ほどいる。

今回のオフ会は15人での集まりだったが、初見の方も3名ほどいらっしゃった。古くからフォローしていて初めてお会いした方もいるし、このオフ会を通じて出会えた方もいらっしゃった。

実に素晴らしい出会いだった。

とてもじゃないが、数時間程度の会話だけじゃ満足できない。

オフ会で何度も会って話して、大人としての日常生活では発することのないような実にくだらない会話で大いに盛り上がりたい。

だって昔はそうだったろう?

難しい話をするよりも、他愛もない話題で盛り上がったことの方が鮮明に記憶に残っているじゃないか。

それが友達ってなもんだ。

はるばる遠く北海道から会いに来てくれた友達を囲んで、そんなことを感じた。


......いかがだったでしょうか。

細部のディテール、文章の構成などなど、まだまだ見直すべきところはたくさんあるかもしれませんが、キリがないのでこの話題に関してはこの辺で自己満足しておきたいと思います。

初めて自分の書いた原稿を全面的に書き直したいという自分勝手な願望を叶えさせていただきましたが、こんなことはそうそうやるもんじゃないですね。

アップする前にキチンと読み返し、満足した上で皆さんに披露するのもブロガーとしてのプライド。

これを肝に銘じたいと思います。

ってなことで、今回はここまでっ!

(おわり)

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